まだみぬ都市をともに描き、新たな仕事をつくり続ける。
私は高校の時に国内外を旅して巡る中、建築や都市環境自体に興味があると気づきました。大学で建築を学ぶ中で、次第に「自律的で創造的な都市とは?」と関心が高まっていったのを覚えています。大学を卒業し、そのまま建築士になることも考えましたが、まずは業界全体を俯瞰したいと考えてメディア企業に就職しました。
住宅・不動産領域の業界構造や消費動機を分析する傍ら、日本各地のまちづくりの現場に足を運んだりもしましたが、当時はトップダウンの都市計画も草の根のまちづくりも分離しており、どちらからも理想と思えるアプローチが見つかりませんでした。世界ではどんなことが起きでいるのだろう?と考え、4年在籍した後に仕事を辞め、イタリアの大学院に留学しました。
大学院では、イタリアをはじめチリ、ブラジル、ベトナムの各地でプロジェクトに参画し、各国の歴史や文化、ソーシャルクラスの実態を目の当たりにしました。
そんな中、印象的な出来事がありました。ブラジルでのこと、1つの街で異なる立場を経験しました。1つは、インターンシップとして、国連のサステイナブル・シティ・アライアンスを州に適用するための活動で、地元住民から猛反対を受けたんです。世界の知見を持ち寄って作られたプログラムも、そこに住む方々にとって意味をなさなければこうなるのだと実感しました。
しかし同じ街に、大学院メンバーとして1ヶ月泊まり込みながら、住民のみなさんが日々感じることに耳を傾け、彼らとともに未来像を描くという関わり方をしたところ、全く異なる結果が待っていました。最後には、彼らは「あなたたちと一緒に考えたおかげで、今までより先の未来を考えられるようになった」と語り、私たちが去った後もプロジェクトは発展していったのです。一番パワフルなデザインとは、物理的なものを作り出すだけでなく、人びとのオーナーシップが現れることにあるのではと気づき、その後の大きな転機になりました。
私の思い描く「自律的で創造的な都市をつくること」は、既存の職業の型にはハマりません。さまざまな課題に取り組み、理想としていることがカタチになる。するとまた新たな疑問が沸き上がり、それが次の仕事になる。そんなふうにして私のキャリアは築かれているのかなと思っています。
世界中、それぞれの歴史や風土、産業があり、人生を積み重ねている人々がいます。互いの文脈をリスペクトし、一緒に何が描けるかを探すことで、まだみぬ地域・都市の姿を実現してゆきたいです。