UX を考えるにあたり人間が複雑な存在であると捉えることは重要です。
地方で生まれ、井戸端会議がよくある環境で育ちました。地縁や血縁など、ある種伝統的と呼ばれる繋がりが強いコミュニティが存在し、そこで行われることへの疑問というか、交わされる噂話や交換される情動、感情などに興味があったことを覚えています。
文化人類学の学びを深めようと思ったのは、大学に入ってからです。高校の進路決めで「人間の集団について学べる学問はなんだろう。」と思い、経済学や社会学を勉強できる大学へ進学しました。しかし、経済学や社会学の授業をとった時、自分のやりたいことと違うなと感じていました。そんな時、人類学入門の授業をとり「人類学では現場にまず行って、その場の混沌とした状況を見て、そこから理論を立ち上げていく」と聞き、“これが私のしたいことだ”と思いました。そこから本格的に人類学を勉強し始めたという感じですね。
幼少期から比較的人見知りであるという自覚がありました。だから相手がどんな行動をしているのか、どんな仕草をしているのかなどを観察することが多かったように思います。人類学で使われることが多い参与観察という手法にも共通点があります。参与観察とはお喋りをして仲良くなるだけでなく、ただそこに一緒にいるとか、共に作業するとか、参与しながら観察するということです。行動をじっくり観察することが、何かを問いかけるよりも重要だったりします。人々は言葉の内容だけでコミュニケーションしているわけではなく、目線だったり、身のこなしだったり、身体から発する雰囲気みたいなものなど、非言語の部分でもコミュニケーションしていますよね。それをキャッチできるかどうかが、人類学の調査では結構重要なんです。
UX的な考えは人間をある種単純化して見る傾向があるように感じます。よりよいUXというのがニーズの裏返しで組み立てられると捉えている方もいるのかもしれません。ただ、エクスペリエンスって日本語に訳すと「経験」じゃないですか。人の経験ってそんなに単純で直線的なものかっていうとそうでもない。ある経験が良かったなと思うことがあっても、振り返るタイミングや、周りの状況などによって評価が変わることがある。だからUXを考えるにあたり人間は複雑な存在であると捉えることは重要だと思います。人類学というのは、人間を捉えていく上で論理的に構築するやり方と感情の動きなどを表現するやり方、両方を捨てていない珍しい学問だと思います。計量的な指標などを使用し、過去の文献との違いを明確にしながら論理を構成していくサイエンス的側面もある一方、人間的なものを人間として受け取り、その受け取ったことを読み手に対して感覚と共に届けるという、いわゆるアーツ的な側面もあります。私は今後も、その両方のバランスをとりながら、デザインに関わる方も含め、様々な方と対話や協働をしていきたいと考えています。