当事者であり、つくり手であること。
子どもの頃は、絵を描いたり、漫画を描きながら物語をつくったりするのが好きでした。高校時代は、数学が好きだったので、芸術的なものと工学的なものが交わる工業製品のデザインが、自分には向いているんじゃないかと考え、普通科の高校から、私だけデザインが学べる大学に進学しました。思い起こすと、この頃から主流ではなく、外縁に自らの身を置いて、大きな何かに絡め取られることなく、自分独自の居場所をつくるように振る舞い始めていたように思えます。
大学進学後、デザインを学びながらも、自らの当事者性から距離のある対象に自らの創造性を使う、ということに、どこか違和感を覚えていました。そんな中、父が脳梗塞で倒れ、文字が読みづらくなる失読症という後遺症が残りました。そこで、私は、文字を代わりに読み上げてくれるメガネ〈OTON GLASS〉の開発を、仲間と共に始めます。自らの家族が障がい者になったという当事者性と、自らのつくり手としての創造性が、ぴったりと重なりあった瞬間でした。
その後、幸いにも父はリハビリの末、徐々に回復していきます。そんな中、展覧会などを通じて、目の見えづらさから文字が読みづらい弱視者の方や、眼科医療福祉従事者の方との出会いがありました。そこから、弱視の建築家や全盲のプログラマーといった、つくり手である弱視の方とエンジニアが協働して、OTON GLASSが生まれた瞬間のような発明を実践し、そこで生まれた知を流通させるプロジェクト〈FabBiotope〉を始めます。このプロジェクトを通じて、自らの当事者性と創造性が重なりあった実践を行う、当事者であり、つくり手である人が増えることを狙っています。
これからデザインを学ぼうと思っている人は、まずは自らが変わろうとしようとしている、その感覚を大切にしてほしいと思います。そして、自らにその感覚の正体を問い続ける、それが自らの当事者性を自覚する一歩になるのではないかと思います。次に、当事者としての自分を自覚しながら、その問題に寄り添い続ける方法として、「つくる」という行為があると捉え、デザインを学び、実践してみてほしいと思います。当事者兼つくり手として実践し、またその実践を通じて、独自の小さな社会を造形しながら、主流に絡め取られることなく、外縁に居続ける。その地道な実践の積み重ねの先に、個々人の個別性を守り、多様性がありのまま存在できる社会像が立ち上がってくるのではないかと考えています。