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佐野 文彦Fumihiko Sano

PROFILE
1981 年奈良県生まれ。京都、中村外二工務店にて数寄屋大工として弟子入り。設計事務所などを経て、2011年、佐野文彦studio PHENOMENONを設立。大工として、技術や素材、文化などと現場で触れ合った経験を現代の感覚と合わせ、新しい日本の価値観を作ることを目指してデザインやインスタレーションを手掛けている。2011 Fumihiko Sano studio PHENOMENON設立。2012 パリにて折形を通し日本の文化を紹介する会員制サロン『MIWA』をデザイン。2013 ニューヨークで開催されたArts of JOMONに『Ma/ Ba』にて参加。2014 文部科学省共同主催「夢ビジョン2020オープンセッション 霞が関で私の未来をブレストする!」(第1回)にて部長、モデレーターを務める。2015 21_21DESIGN SIGHIT 単位展に『UNIT of MUJI』にて参加。無印良品有楽町店 エントランスステージにて『ユニットシェルフでできた家』を制作。東京ミッドタウンにて開催されたデザインタッチ2015に 『木ヲ見て森ヲ見ズ』にて参加。 日本デザイン振興会主催メコンデザインセレクションにてミャンマーの現地企業との共同によるプロダクトデザイン、京都市にて築110年の木造洋風建築をリノベーションしたコワーキングスペース『MTRL KYOTO』を設計。

興味を持ったら、まずはそのドアを開けてみること。

学生の頃は陸上に力を入れていました。強豪と呼ばれる高校に入ったのですが、才能ある選手がたくさんいて、それなりでしかない自分の能力の低さを実感しました。トレーナーの先生に「競輪選手に向いてるのでは?」と勧められ、競輪場に行って「選手になりたいんです」と告げました。競輪を始めて、周囲は「才能がある」と認めてくれました。しかし、「日本一にならないと意味がない」と、意識を失うまでやる厳しい練習に、まだ自転車が好きになりきれていなかった自分は耐えられませんでした。

次にやるのは、何があっても好きでいられる、それもスポーツのように引退がなく、一生続けられることをしようと、絵を描いたり物を作るアーティストのようになる方法を模索しました。気になっていた北欧家具の店を訪ねた際、「アルバイトをしないか」と誘われて、そこでいろいろな本を読むうちに、建築家になりたいと思うようになりました。大学へ入る選択肢もありましたが、机上では学べないこともあるだろうと、数寄屋大工の工務店に住み込みで弟子入りすることに。丁寧に仕事を教えてくれることもなかったので、夜中にコソコソと作業して技術を身につけようとしたり、休日は友人宅を改装させてもらったりして経験を積みました。

その後、フリーランスになるまで設計事務所・建築事務所で働きました。駆け出しの時に心掛けたのは、創作のアイデアや着想になりそうなものを積極的にインプットしようということ。それも、”観たり” ”聴いたり”だけでなく、面白い経験ができるところに飛び込んでいきました。SNSでスタッフ募集していたライゾマティクスの真鍋大度さんが手掛けるPVセットの設営をしたり、デンマークに行ってPP Moblerでハンス・J・ウェグナーの家具の製作に携わるなど、国内外のクリエイターやアーティストと知り合う中で、イベントの会場設計などの仕事が増えていきました。さらに、「ART FAIR TOKYO」の会場デザインに携わったことがきっかけで、アーティストとしても作品を出すようになり、以降はアート活動も増やしていこうと思いましたね。

競輪、家具店、大工、建築事務所と、自分は何か興味を持ったらいつも行動に移してきました。「この川は冷たいかな?と思って足をつけてみたら、そのままハマって滝の下に出た!」そんな感じです。なんやかんや言って“やらない”選択をする人が多い気がしますが、クリエイターとして活躍していきたいなら、考えが定まった際にすぐ行動に移し、“ドアを開けてみる”こと。そして、仕事現場では「自分はこうしたい!」という思いがあることが大事です。手伝う姿勢ではなく、常に自分の案を持って仕事に臨むべきでしょうね。

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